デンバーからシカゴまで、バスで15時間。1,004mileの旅。
バス2泊はキツかった。
バスの中で何をしていたかと言うと、カリフォルニア州Chicoで買ったラジオ(23$)を聞いていた。少しでも英語耳を作らないと、何を言っているのか聞き取れなくて、会話にならないとサンフランシスコに着いて痛感したからでした。当時ラジオからは、坂本九さんの”SUKIYAKI"をA TASTE OF HONEYというバンドのカバー曲が何度も掛かっていて、哀愁のあるメロディーを小さい音で聞いていました。
バスの乗客は裕福そうな人は見かけません。ほとんどが一人旅なのに、休憩のバスデーポでも一人で食事。誰も話しかけません。ただ黙って目的地で降りていきます。もう少しコンタクトがあると期待していただけに残念でした。
1981.2.16 早朝 やっとシカゴに到着です。
イリノイ州シカゴ ここも映画で何度も観た街。BIG City
・ジョンハンコックセンター展望台
・シアーズタワー(今はウィリス・タワー)見ただけ。
・シカゴ美術館
・フィールドミュージアム
・水族館
バスで街めぐりをし、ワクワクドキドキしながら歩き回った。すごく風が強く寒かった。本当にWindy Cityだった。
街のあちこちにパブリックアートがあり芸術の街。もちろん裏通りには荒んだ雰囲気が漂っていたが表通りは近代的な大都市の顔。
シカゴには、その後、2度も訪れることになるとは予想していなかった。
1996.10と1998.11 この時もジョンハンコックセンター展望台に昇った。
その時の写真がこれ
15年前と同じ構図
98年のときはアーミッシュの観光客も窓にへばりついて景色を楽しんでいた。
この時は少しリッチなホテルと豪華な食事。MICHAEL JORDANのレストランでステーキを頼んだら巨大で食べきれなかった。学生の旅行と社会人になってからの格差も感じました。
81年のステーキは4-9$位で黒こげの硬い物だったが、社会人のステーキは柔らかくて、本当の牛肉を味わうことができた。学生時代はアメリカのメシはまずいと思っていましたが、ちゃんとお金を出せば美味しいものを食べれるんだと認識を変えました。当然ですが。アメリカは安いものは不味いが日本は安くても美味いものがたくさんある。日本て素敵ですよね!
それに、秋は天気も良くて、シカゴの印象がすごく変わりました。10月はindian summerで気温が40度近くあって大汗でしたがね。
これも20年以上も前の出来事になりました。
もう4度目のシカゴはないと思いますが。
使用金額:65.97$
移動距離:1,004mile